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日本を愛するキリスト者の会
I for Japan; Japan for the world; The world for Christ; And All for God.
理事コメント
COMMENT
「日本を愛するキリスト者の会」発足に寄せて 行澤一人 理事
「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞ
れに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求め
させるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるので
す。」(使徒行伝17章26-27節)
この御言葉についての私の理解によれば、神はすべての民族の歴史と文化の上に御自身
の御許へと帰るための道標を刻印されているので(自然啓示)、自らの民族的アイデン
ティティを求めることは、私たちがまことの魂の故郷へと帰還するための重要な手がかりとなります。
なぜなら民族的アイデンティティとは、創造主なる神の英知の中で初めてその深みにおいて悟ることのできるものだ
からです。従って、本会に対して私が抱く大いなる期待は、本会の働きを通して、多くの同胞が、日本人として生ま
れ出でた自らの存在の内に働く神の経綸に触れ、その不思議を悟り、そして神を知るに至ることです。
現在、日本が置かれている国際環境は非常に苛酷なものです。容赦ないグローバル経済の自律運動は国家の枠組み
を悠々と超えて人々を飲み込んでいます。他方、半世紀以上にわたって続いたアメリカの覇権の決定的衰退と中国の
台頭によって、日本を含む東アジアの政治外交情勢は地殻変動を起こしています。
戦後アメリカの圧倒的な庇護の下で享受し得た繁栄の基盤は失われつつあり、かえって私たち日本人は、世界の中で
これからの50年をどう生きていくのかということを自分で考え、自分で決断する、すなわち真に「自立」すべきとき
が来ているのです。 このような状況は、ある意味では、非常に危険なときでありながら、同時に大いなるチャンスで
もあります。「危険」というのは、歴史の教訓が教えるように、このようなパラダイムシフトの時代にあっては、変
化から取り残された多くの人々の中に激しいルサンチマンが燃え上がり、極端な国粋主義、自民族優位主義の熱狂が
人心を捕えがちだからです。
「チャンス」というのは、危機の時代にこそ、真に日本の行く末を思う人々は揺るぎない普遍的な土台を求めるから
です。すなわち、危機の時代においてこそ、心ある日本人は既存のあらゆる常識を根本から問い直し、自らの知性と
霊性を鍛え上げるのです。
日本を愛する者ならば、日本の歴史と文化を尊重し、皇室に敬愛の念を表し、自由と民主主義を守りぬくでしょう。
真のキリスト者ならば、政治的論争の愚に陥らず、しかし、堂々と自己の確信を保ちつつ、異なる意見を尊重し、批
判されても祝福し、あくまでキリストのからだの一致を愛するでしょう。
こうして、日本を愛するキリスト者こそが、愛し合うことにおいて日本人の模範となり、そして日本がこれから行く
べき道を照らし出す神の灯心となるべきなのです。これこそ私が切に神に祈っていることです。
手束正昭 理事
私は二十数年前から、不思議な主の導きによって、韓国と台湾の教会を毎年一〜二度
は必ず訪問するようになった。
周知の如く、韓国も台湾も戦前の日本が植民地として統治した国である。(韓国につい
ては、所謂植民地≠ナはなく、スコットランドとイングランドのような合邦国家
だという強い主張もある)。
にも拘わらず、両国の民の私に対する態度は大きく違った。
韓国では多くの日本の牧師達が体験するように、日本に対するルサンチマン(怨念)を直接的にあるいは間接的にぶ
つけられたり、時には謝罪要求がなされた(しかし、韓国の教会やクリスチャン達がすべてこうだというわけではな
く、そんなことを微塵も感じさせない気高い教会や牧師達も少なくなかったことをも指摘しておきたい)。
ところが、台湾の人々は全く違った。ルサンチマンをぶつけてくるどころか、そこには日本と日本人に対する尊
敬と感謝の表出があった(二〇一一年三月に起こった東日本大震災においても、台湾から寄せられた義捐金は、二百
五十億円にも達しており、他の国と比べてダントツに高額なものであったことの中にも、台湾の人々の日本に対する
温かい思いを知ることができる)。
私はその格差に戸惑い、韓国の人々とは余りにも対照的なその姿をどう理解すべきかを思い悩んだ。
そしてそこから牧会の合間をぬって韓国と台湾についての日本の統治政策、果ては日本の近代史の探究と考察へと進
んでいった。
当初の私の思い込みは、朝鮮に対する日本の統治が酷いものだったので、朝鮮の人々はあのように日本を恨み憎んで
いるのであろう。しかし、台湾に対するそれは手厚いものだったので、台湾の人々はあのように感謝してくれている
のだろうというものだった。
ところが、研究の結果は逆であった。日本は朝鮮を重視し、朝鮮に対して厚遇し、時には日本の国家予算の二割をも
朝鮮の発展のために注ぎ込んでいったのである。
そして、台湾に対しては、それ程手厚いものではなかった。
だとするならば、韓国の「反日」と台湾の「親日」は、どう説明されるべきなのであろうか。
結論から言うと、韓国の「反日」は造られたものであり、客観的公正性を著しく欠いたものであるということ。
それに比して、台湾の「親日」はかなり客観的公正な日本評価の結果であるということである。
二〇〇八年、アメリカの名門スタンフォード大学は、極めて興味深い研究報告書を発表した。同大学が日本、韓国
、中国の歴史教科書について詳細に調査研究した結果、次のような結論に至ったという。中国の歴史教科書(歴史認
識)は言わばプロパガンダ(政治的思惑による宣伝)であり、韓国の歴史教科書(歴史認識)は言わば、ファン
タジー=iこうあれかしと願っていることを歴史にしている)と考えられ、日本の歴史教科書において初めてヒス
トリー=i公正客観的な歴史認識)と言える、と。
つまり、中国や韓国の歴史認識は、極めて主観的なものであり、誇張と捏造とに満ちたものであると歴史学のアカデ
ミズムの殿堂が結論づけたというのである。すると、中国や韓国が事あるごとに日本に要求してくる「正しい歴史認
識を持て」という主張は、自分達にこそ向けられるべきものであるということになる。
問題は、この様な中国や韓国が主張する極めて主観的な歴史認識に、日本政府が耳を傾け、これに媚びる形で結着
を図ってきたということである。その代表的な例こそ、一九九三年八月に発表された所謂「河野談話」である。
これによって所謂「従軍慰安婦」問題が落着するどころか、いよいよ混迷を深め、日韓関係を修復不可能な程までに
悪化させることになってしまったのである。これこそ、日本人の近代史についての勉強不足と「謝罪すれば事は収ま
る」という日本人的人間関係術のコラボがもたらした悲劇という他はあるまい。
ところで更に問題なのは、日本のキリスト教ジャーナリズムが(全部ではないが)スタンフォード大学がプロパ
ガンダ≠ニ断じた中国の歴史認識やファンタジー≠ニ評した韓国の歴史認識を鵜呑みにして、それらを強化し、国
定化する報道を続けてきていることである。
そして、それに触発された人々が謝罪運動を繰り広げていることである。
クリスチャンは善良で純粋な人が多い。それ故に、疑うということを知らない。声高に主張する人に傾いてしまう。
そこに落とし穴がある。純粋な動機から、熱心に中国や韓国の言う日本の犯罪≠告発し、糾弾していく。
そして「謝罪せよ」と叫び続ける。そのような正義感に溢れたクリスチャンの姿を見て、中国や韓国の指導者達が、
「これで日本の首根っこを押さえることができる」と喜ぶだけでなく、悪魔もまた高笑いしている筈である。
何故ならば、悪魔(サタン)とは「告発する者」(ヨブ一・六-十二)のことであり、人間の罪を暴きたて、人間をし
て罪責感の中に閉じ込めることを主たる働きとしているからである。
言うならば、謝罪運動を懸命に推進している人々は、その純粋な動機にも拘わらず、全く期せずしてサタンの手先に
なっているのである。これ以上の悲劇があるだろうか。
誤解しないでもらいたいのは、何も私は日本の国や民族に何ら咎はなかったと言っているのではない。
日本もまた歴史の中での多くの過ちや罪を犯してきたのは事実である。だが、中国や韓国、はたまた朝日新聞やNH
Kなどが声高に糾弾する程、他の国と較べて私達の祖国日本は悪虐非道国家だっただろうか。少し目を大きく開いて
見るならば、日本という国がまた日本人がどれ程歴史の中で貢献し、また海外の人々から評価されているかが分かる
筈である。 二〇〇六年、英国のテレビ局BBCが行った三三ヶ国四万人対象の世論調査によると、最も人気の高か
った国が日本であり、三三ヶ国中三一ヶ国の国民の評価が肯定的なものであった。否定的に評価したのはたった二ヶ
国、中国と韓国であった。つまり、この結果は、「日本人よ、あなたがたは決して醜いアヒルの子ではない。
美しい白鳥なのだ。だから、植え付けられた低いセルフイメージから脱して、大空に向かって大きく飛びたって行き
なさい」と語りかけているのである。
だから私達クリスチャンが、日本人に対する罪の指摘や糾弾によって悔い改めを迫るという方法は適切ではない。
勿論、これによって悔い改めてクリスチャンになる極めて素直な方々がいることは否定しないが、しかし大方の人々
は、心を閉ざしてしまうのである。人間に真に悔い改めが興るのは、神の恩寵の深さを体験した時であり、また聖霊
の感動を受けた時なのである(マルコ一・一四-一五、使徒二・三七-四二)。イソップの物語にあるように、旅人がマ
ントを脱ぐのは、北風によってではなく、太陽の暖かい光によって実現したことを想い起こして欲しい。
かくて、「日本を愛するキリスト者の会」は、罪を指摘し悔い改めを迫るというバプテスマのヨハネの行き方ではな
く、神の愛と恩寵の光りによって包み込んでいくイエス・キリストの方法によってこそ、日本の伝道は進展すること
を提唱し、その素地を造ろうとしているのである。
※上記の私のコメントについて、その当否を確認したい方は、次の書物をお読み下さい。
藤原正彦著『日本人の誇り』(文春新書)
井上和彦著『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)
黄 文雄著『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』(徳間書店)
あわせて、次の私の書物もお読み頂ければ幸いです。
手束正昭著『日本宣教の突破口─醒めよ日本─』(マルコーシュ・パブリケーション)
手束正昭著『続・聖なる旅』(キリスト新聞社)
日本人キリスト者であること 畠田秀生 理事
私は日本人である。
日本人として生まれ、日本人として死んでゆく。
自分自身で日本人のアイデンティティーと、日本の伝統、風習、習慣を否定することは
したくない。
否定することもできるが、70代も半ばになりそんなことをする気はない。
私は大阪で生まれ大阪で育ち、大阪で福音を語り、牧師として一生を送ってきた。
今は伊勢志摩に住むが、日本人として生きていきたいと望んでいる。
心も身も日本を離れる意図はみじんもない。
事実、本当のところ日本人であることは快適でもある。むしろ誇りにさえ思っている。
それに対して疑問を突きつけられたとしても、まったく意に介しない。
私の日本人らしさは、世論や政府の命令によって押しつけられたものではない。
それは人から与えられたものでもなく、また反対に人によって取り去られるものでもない。
日本人としての私は、日本人として生まれ、日本人として生き、日本人を愛してやまない、また日本民族を愛して
いるキリスト・イエスと、創造主である父なる神、聖霊なるお方のみこころに、ことばに言い尽くせないほど敏感に
なっている。
私は日本人キリスト者である。なに者であるかと問われれば何にもましてキリスト者であると答える。
内面的充実感は、イエスを信じて生きる充実感以外に何ものをもってしても代替するものはない。
日本人であり続けると同時にキリスト者である。
私は、日本国民が神の恵みを私が得たようにもっていただきたいと心底願っているし、パウロが言ったように、
ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のようになったという模範に習いたいと思う。
そのために、私は日本人を愛するがゆえに、日本人キリスト者であることから、キリスト者日本人となろうと心がけ
ている。さもなければ、私は、自分だけを喜ばせている自己満足という狭い四畳半から一歩も外に出ないで、わが満
足だけで生きている井の中の蛙、自己中心の自己中といわれても仕方がない偽善者に落ちぶれるのを危惧する。
自分が満足している状態を保とうとして戦々恐々としている姿は、まったく日本人としての武士道に反するのでは
ないかと思ったりもしている。
この「日本を愛するキリスト者の会」が大きく羽ばたくものとなってほしいし、そのための一翼を担わせていただ
けるのは光栄である。
日本宣教の突破口 私のビジョン 森敬子 理事
「私たちクリスチャンが日本と日本人を愛し、いとおしむ心を持つこと、そしてその
ために執り成し、祈ることこそが最も肝要なありかたであると確信いたします」と設立
趣意書に述べられています。
自分を愛するように99%のノンクリスチャンを愛すること、これは大切な目標目的
です。またイエス様がいわれたご命令─マルコ16章15節「全世界へ出て行き、すべての
造られた者に福音を宣べ伝えなさい」。
日本宣教の突破口に関し、私のビジョンは、ヨハネ17章21〜23節です。22節に、「わたし(キリスト)は、あなた
(父なる神)がわたしにくださった栄光を、彼ら(クリスチャンたち)に与えました」。その理由は「それは、わた
したち(すなわち神様、イエス様、聖霊様の三位一体の神様)が一つであるように、彼ら(クリスチャン)も一つで
あるためです」。
さらに23節に、「わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは彼ら(クリスチャン)が全うされて
一つとなるためです」。続いて、「それは、あなたがわたしを愛されたように、彼らをも愛されたことを、この世が
知るためです」。少し前の21節にも、「この世が主を信じるためなのです」とあります。
このように、神様、イエス様、聖霊様が一つであるように私たちクリスチャンが一つとなること、この一つとなっ
ている姿を見てノンクリスチャンは主を知るであろう、主を信じるのだと聖書が語っています。
詩篇133篇にも、「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさで
あろう」とあります。
教団・教派を越えて一つとなる超教派の働きが大変重要です。それが日本の変革のチャンスと考えております。
イザヤ書43章7節に、「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、こ
れを形造り、これを造った」。私たちクリスチャンが一つとなって神の栄光、神のすばらしさを現すことが、神様の
目的です。本当に尊い身分ですね。
過去と他人は変えられません──カウンセリングでいつも繰り返しいわれる言葉です。自虐史観を乗り越えて、主
が願っておられる日本へのご計画に参加していくことが大切です。
エレミヤ書29章11〜13節に、将来を希望に、しっかり目を向けて主を呼び求めましょう。わたし(神)に祈るなら
聞こう、と記されています。クリスチャンが一つとなって祈ること、また私たちを罪と死から完全に解放し、国籍を
天とするキリストの福音を日本全国に、海をおおう水のように広がらせる──リノベーション日本を願う者です。
「日本を愛するキリスト者の会」の会員全員に、神様の祝福が豊かに注がれることを祈りつつ、これを私の日本宣
教のビジョン、突破口とさせていただきます。
「日本を愛するキリスト者の会」設立に寄せて 元・草加市議会議員 瀬戸健一郎
自分のような過ちや間違いを繰り返す汚れた人間が、クリスチャンになんかなれっこ
ない。日本に生まれ育った私にとって、かつてクリスチャンとは、「清く貧しく美しく
自分とは程遠い立派な人たち。」というイメージで、何となく敷居が高い存在でした。
しかし、高校3年生の時、交換留学先のアメリカで出会ったクリスチャンたちは、日
本で私が感じていたクリスチャンのイメージとは全く違いました。
自分は過ちや間違いを繰り返す汚れた人間だけど、神様に許されている。神様に祝福
されている。神様に特別に愛されている。私がアメリカで出会ったクリスチャンたちは、そんな喜びに満ちた人々で
自分も彼らのようになりたいと思える存在でした。
日本に居たら、自分がイエス様の一方的な贖罪の恵みを知ることも、そのことによって得られる内なる自分の罪責
感からの解放も、完全な自由を手にする喜びも、知るチャンスはなかったかもしれません。それほど、私たち人間に
とって、傷ついたセルフイメージは神様が既に完成された救いの御技=福音を遠ざけてしまうのです。
自分が過去に犯した過ちや間違いに囚われて罪悪感や罪責感を抱えたまま生きることは辛い事です。けっして幸せ
なことではありません。しかし内なる自分自身に対する罪悪感や罪責感を拭い去ってくれるような権威は神様以外に
は存在しません。しかし、そのことをまだ多くの日本人は体験していません。
さらに戦後70年間、東京裁判を通じて日本人は、日本という国家と民族に対する罪責感を抱えたまま、経済的な繁
栄とその資金力によって、世界に於ける自らの存在意義を示そうとしてきました。
しかし、いくら経済的な繁栄を手にしたとしても、深い意味での幸福感が満たされることはありません。それはイ
エス様が流された血潮による贖罪の恵みによって、自らの罪責感に完全な許しと癒しを受け取り、健全なセルフイメ
ージを回復することによってのみ、満たされるものだからです。
ウォーギルト(戦争に対する罪責感)を日本人に植え付けさえすれば、もともと自己犠牲の精神とコンセンサス社
会を維持してきた日本民族は、その国民性が故に充分な自制力を働かせて、二度とアメリカや世界を脅かすことはな
いだろう。その存在が取りざたされてきた所謂、ウォーギルトインフォメーションプログラムは存在したと私も考え
ている一人です。
このことについての気づきと解放が、日本という国家にとっても国民にとっても大変重要なことだと思います。日
本人も私たちの創造主なる神さまの許しと、祝福と、愛を、もっともっと受け取っていいのではないでしょうか。
私は戦争を知らない世代として、日本の過去の戦争を正当化したり、国益を実現し、国際紛争を解決する手段とし
ての武力行使をを容認したりするつもりはありません。 しかしもし、日本人の心の中に、過去の戦争に対する罪責
感が根深く今も存在していて、自分は救われない、自分の国家は国際社会の中で許されざる行為をした戦争犯罪国家
だなどという深く傷ついたセルフイメージがあるのだとしたら、それは日本人を日本国を幸せな民族にも国家にもし
ないだろうと危惧せずにはいられません。
日本人が日本人としての健全なセルフイメージを回復するためには、日本民族がいよいよ福音に触れて、イエス様
の贖罪の恵みを受け取り、神様の愛と許しと祝福の中に置いて頂くことが、まず何よりも必要なのだと思います。
日本人を過去の歴史に対する罪責感から解放し、福音が日本民族にもストレートに入ってくるように執り成し祈る
ことが、日本を愛するキリスト者が為すべきことだと信じます。どうかこのミッションに参加して下さい。
日本を愛するキリスト者の会が日本のリバイバルに用いられることを祈りつつ
自虐史観を乗り越えることの大切さ 久保有政 理事
これまで多くの教会では、「日本人は明治維新以来、多くの戦争を通して悪いことを
してきた。アジアや欧米諸国にも悪いことをし、侵略戦争をしてきた」と語られてきま
した。そうやって日本の悪いことばかりに着目し、もしキリストの福音を信じるなら、
もっとましな民族になるだろう、といった語られ方がなされてきました。
しかしこの自虐史観は、決して真実の歴史観ではありません。それはもともと、戦後
アメリカ占領軍(GHQ)と、東京裁判によって広められた歴史観です。またその歴史
観を広めるのに、日本を悪者としたかった左翼=共産党や、社会党が加わりました。またこれに日教組(左翼系の教
師)や、朝日新聞(左翼系が多い)、NHKまでもが追随してきました。
そうした考えがキリスト教会にも入り込み、日本悪玉史観が語られてきたのです。けれども歴史を客観的に公平に
見つめれば、日本はこの近現代において数多くの良いことも行ってきました。
左翼の人々が主張してきた「先の戦争は侵略戦争」という主張も、よくみれば、じつは自存自衛、アジア解放のた
めの戦いだったのです。また日本人は、国際連盟の時代から人種平等をかかげ、すべての国々が対等に話せる時代を
目指して戦ってきました。
朝鮮や台湾を近代化し、中国を共産主義や欧米の植民地主義から守ろうとした多くの日本人たちの存在も忘れるこ
とはできません。そのほかアジア各地で、また世界で多くの良きわざを行った日本人たちがいました。 今こそ日本
の近現代史を公平にみつめ、自虐史観を乗り越え、日本人のセルフイメージを健全化する必要があります。キリスト
の福音を通して、日本人のセルフイメージを健全化するのです。それが日本の真の復興につながります。
私たちの宣べ伝えるべきは、「日本人は悪い民族だ」ではありません。「日本は神に愛された民族です! 神様を
中心に歩んでいきましょう」です。
自虐史観は日本の福音宣教をどれほど妨害してきたことでしょうか。私たちは今こそ、その弊害に気づき、新しい
福音宣教の時代をになっていくべきでしょう。
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